ようこそ新潟信濃町教会へ!
教会では毎週日曜日午前10時30分から礼拝をしています。
どなたでもご自由にお越しください
4月12日(日)午前10時半
説教 「見ないで信じる者」
森田泰司牧師
聖書 旧約:イザヤ書 12章4節~6節
新約:ヨハネによる福音書 20章19節~29節
旧約に記されている神さまの「報復」や、「復讐」は恐ろしいものと受け取られがちです。古代では、旧約の神さまと新約の神さまを別の存在と考える人々もいました。しかし聖書全体が示しているのは、天地創造から救いの完成に至るまで、一貫して働かれている唯一の神さまです。神さまが不信仰な者に裁きを下されるのは、正義を実現して、ご自身がまことの神さまであることを示すためほかなりません。
出エジプト記における海の中を渡る奇跡は、その象徴的出来事でした。イスラエルの民は海中を渡って救われて、追ってきたエジプト軍は滅びました。この出来事は神さまの正義と救いを示していて、イスラエルの信仰の原点となっています。またバビロン捕囚からの解放も同様に、希望の拠り所でした。しかしこれらの出来事は同時に、律法と結びついて、人々を罪の自覚へと導く一方、その束縛の中に留める側面も持っていました。
ところがイエス・キリストの十字架と復活によって、救いの在り方は決定的に新しくされました。復活後、弟子たちに最初に語られた「平和があるように」という言葉は、単なる挨拶ではなく、調和と内的な安らぎを意味しています。この平和は、弟子たち自身のためであると同時に、彼らが遣わされる先々で保たれるよう祈られた、祝福でもありました。
さらにイエスさまは、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と命じました。これは創世記にある、生命の創造を想起させていて、弟子たちが新しく生まれたことを示しています。聖霊を受けた彼らは、福音を伝えて、罪の赦しを告げる者として世に遣わされました。この約束は現代に生きる私たちにも及んでいます。どのような不安の中にあっても、主は聖霊によって平安を与えて、共に歩んでくださいます。

2026年4月5日(日)イースター礼拝
説教 「復活の朝」
説教者 森田泰司牧師
聖 書 旧約:イザヤ書 55章8節~11節
新約:ヨハネによる福音書 20章1節~10節
イエスさまが十字架で死なれ、墓に葬られたのは安息日が始まる、直前の出来事でした。安息日が終わり、日曜日の朝早く、マグダラのマリアが墓に行くと、墓をふさいでいた石は取り除かれていて、遺体がありませんでした。弟子たちも墓に来て確認しますが、復活されたことを理解できずに帰ってしまいました。マリアは悲しみの中で墓に留まり続けます。
彼女が、泣きながら墓をのぞくいてみると、天使が現れて、さらに復活したイエスが立っていました。ところが最初、彼女はそのことに気がつきません。しかし、「マリア」と呼びかけられた瞬間、彼女はイエスさまがそこにおられることに気がつきました。そして、彼女が「先生」と応答し、イエスさまが復活されたことを悟ります。彼女の悲しみは、喜びへと変えられました。
この出来事は、過去の出来事にとどまりません。日曜日ごとの礼拝において、今も繰り返されています。神さまの言葉を通して、一人ひとりに呼びかけが与えられ、信仰と新しい命へと、導かれています。どのような状況であっても、主に心を向けて、復活の希望と平安を受けつつ歩むことが勧められているのです。

2025年7月20日 会堂アプローチの花


