2025年3月9日 み言葉と黙想
「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです」 ヤコブの手紙 1章12節
苦しいこと、つらいことはだれでもいやがることです。ところが、聖書を読むと、大勢の人が苦しむ様子が書かれています。これはどういうことでしょうか。
神さまから選ばれたイスラエルの民は、エジプトから約束の地カナンへ旅する時、40年もの間砂漠の土地を移動しなければなりませんでした。また、カナンについても、多くの敵と戦い、その後王国を築いても、大国のアッシリアとバビロンにより国が滅ぼされ、遠くの地に移されてしまいます。
イスラエルに戻り、やっと神殿を建てることができても、次から次へと大国の支配に苦しめられました。そして、メシアとして約束されていたイエスさまがこの世に遣わされましたが、イエスさまの人生は試練の連続で、最後は十字架の上で苦しみを受けて、その命を捧げられました。
イエスさまが十字架に架けられ、その後墓の中から復活され、天に昇られたことで、わたしたちは神さまとのつながりが取り戻され、罪を赦されて永遠の命をいただくことができるようになりました。
しかし、この世では、まだまだ苦しいことやつらいことが続いています。
わたしたちが直面しているつらいことは、試練と誘惑でしょう。神さまから与えられる試練には逃れる道が必ず与えられています。しかし、誘惑は神さまからでたものではありませんので、誘惑の行き着く先は死であると言われています。誘惑からわたしたちを救い出してくださるのは、神さまだけしかおられません。
試練と誘惑について、わたしたちはどのように向かっていけばいいのかということを聖書から聴いてまいります。